読んだ本について僕の語ること

読んだ本について僕の語る書評ブログです。読書を通じて勉強になったこと、腑に落ちたこと、思い出したこと、エピソード、連想されるもの、感想を書いています。

人のせい - 芸術ぎらい(Kindle版)太宰 治

芸術ぎらい

工芸高校のオープンキャンパスに行った。

一通り校内を見学したあと、授業の体験があった。
内容は、貼り絵の作品を作ること。
ポストカードサイズの紙に、切ったり、ちぎったりした紙を貼っていく。

テーマは「夢」。何も思い浮かばなかった。
僕が「夢」についてアレコレ考えている間、周りのみんなは、紙を切り、ちぎり、貼り、どんどん作業を進めている。
いくら考えても、僕には夢がなかった。「夢」というものに対して、明確な答えを持たない自分に罪悪感も出てきた。
残り10分ほどになった。
“何もない”ということを、貼り絵で表現することにした。

ポストカードサイズの紙の、左下から右上へむかって放射状に、こまかくちぎった白と黒の紙を敷き詰めた。モノクロのモザイクだ。
その外側に、ピンク、黄色、水色、赤、オレンジ、紫、黄緑の紙でカラフルなモザイクを作った。
モノクロのモザイクと、カラフルなモザイクの間に、細く直線に切った紙で境界を作った。

モヤモヤしていた。夢がないということ、これからどうなるかわからない不安、もしかしたらバラ色の未来があるのかもしれないという根拠のない期待。しかし、このままでは駄目で、なにか突き抜けないとバラ色の未来はない、という焦り。
うまく表現できたと思った。

授業終了のチャイムが鳴った。
ふと隣の女の子が作ったものを見ると、ドレスを着た女性とお城が、キレイに貼り絵にされていた。
「ださ!」と思った。

彼女も、僕の作品を見た。二度見した。
奇をてらって、変なことをしているように見えたのだろうか。
関係あらへん、お前になんか理解されてたまるか、と思った。

創作に於いて最も当然に努めなければならぬ事は、<正確を期する事>であります。その他には、何もありません。風車が悪魔に見えた時には、ためらわず悪魔の描写をなすべきであります。また風車が、やはり風車以外のものには見えなかった時は、そのまま風車の描写をするがよい。風車が、実は、風車そのものに見えているのだけれども、それを悪魔のように描写しなければ<芸術的>ではないかと思って、さまざま見え透いた工夫をして、ロマンチックを気取っているような馬鹿な作家もありますが、あんなのは、一生かかったって何一つ掴めない。

数ヶ月後、工芸高校の入試を受けた。

試験内容は、「びゅーん」「ぱちぱち」「ふわふわ」のどれかを水彩画で表現しなさい、というものだった。
僕は「ぱちぱち」をテーマに選んだ。
画用紙の真ん中にいろんな色の絵の具をたらし、息をふきかけ、放射状にした。

試験終了のチャイムが鳴り、前の子の作品を見た。
選んだテーマは「びゅーん」だろう。地球から月に向かって飛ぶカエルが描かれていた。
「ださ!」と思った。

結果発表の日、ボードに僕の受験番号は無く、ひとつ若い受験番号があった。

見る目がない、と人のせいにすることは簡単なことだ。

 

芸術ぎらい

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